パリとロートレックとキャバレーと。

キャバレーと縁の深い画家。

パリの夜遊びと言えば、外せないもののひとつにキャバレーがあります。
セクシーなダンサーや歌手が織りなす華麗なショーは、古くから親しまれる大人の社交場。

そんなキャバレーに縁の深い画家、トゥールーズ=ロートレックを本日はご紹介しようと思います。

トゥールーズ=ロートレック
生没年月日1864年11月24日~1901年9月9日
国籍フランス
著名な実績絵画・版画
運動・動向ポスト印象派、世紀末芸術、アール・ヌーヴォー

画の才能と病の苦悩。

ロートレックは、1864年11月24日に南フランスのアルビという地に生まれました。
伯爵の家系でもある名家の嫡男として、家中から「小さな宝石」と呼ばれて可愛がられて育ちましたが、弟が亡くなったことで両親が不仲となってしまいます。
両親は別居生活となり、8歳の頃にロートレックは母親と一緒にパリで暮らし始めます。

そこでスケッチを始めたロートレックは、スケッチブックに描いた多くの似顔絵から母親に才能を見出され、父親の友人でもある画家のルネ・プリンセトーから個人レッスンを受けるようになります。
しかしながら、下半身の成長が遅いという原因不明の病により、療養の為に11歳で再びアルビへと戻ります。
現代では、大衆との混血を嫌った貴族家系内の近親婚による遺伝的疾患だったと考えられています。

そして、13歳の時に椅子から転んで左大腿骨を骨折、14歳の時には右大腿骨を骨折してしまい、ついにロートレックの脚は成長が止まってしまいました。

ロートレック生誕の地アルビ。現在はベルビ宮殿がトゥールーズ=ロートレック美術館として公開されている。

芸術に没頭する青年期。

上半身は大人へと成長していく中で、脚だけは少年の頃から変わらぬ容姿が父親からは疎まれ、また同世代が楽しむ多くの事にも参加できないロートレックは、次第に芸術活動に没頭していきます。

その後南フランスのニースでロートレックと再会したプリンセトーは、彼が描いている絵を見て、その技術の成長に驚嘆しました。彼はロートレックの両親にパリで絵を学ばせるように説得し、また母親もロートレックが立派な画家になることを望んだため、18歳で再びパリの地へ移り住むこととなります。

そこでは、フィンセント・ファン・ゴッホとも知り合うこととなり、ロートレック画のゴッホの肖像も残されています。

ロートレックによる『フィンセント・ファン・ゴッホの肖像』

キャバレー「ムーラン・ルージュ」との出会い。

キャバレーとの最初の出会いは、パリに新しくオープンした「ムーラン・ルージュ」からのポスター制作の依頼でした。当時のパリの画家の間では、商業的な絵の仕事は見下される風潮がありましたが、ロートレックはまったく気にせず引き受けました。

ムーラン・ルージュからは便宜を図られるようになり、次第にロートレックはキャバレーに入り浸るようになります。この頃から彼女らをモチーフとして愛情のこもった筆致で描くようになりました。

そうした作品は非常に人気が高くなり、一般的にロートレックの代表作として認知されるようになりました。

ロートレックが通ったキャバレー「ムーラン・ルージュ」は、今もパリを代表する観光スポット。

差別とアルコールと夜の女性たち。

絵画の世界で一定の地位を得る一方で、ロートレックは常に自身の身体的な特徴に対する嘲笑から逃れることは出来ませんでした。

初めはビールやワインといったお酒しか飲まなかったものの、次第にウイスキーやアブサンといった度数の強いお酒に溺れるようになり、アルコール依存症となっていきます。
その依存っぷりは、普段持ち歩く杖の先にもお酒を仕込んでいたというほどで、片時もお酒を手放すことはできなくなっていました。

また、この頃のロートレックは娼婦への依存も高まっていました。自身のコンプレックスと当時の下層階級である彼女たちとの親和性に強く惹かれていたのでしょうか。しかし、その奔放な性生活により梅毒を患ってしまいます。

『ムーラン通りのサロン』(1894年)

晩年のロートレックと母親の愛。

35歳の頃、いよいよ重度のアルコール依存と梅毒により心身共に弱っていたロートレックは発作を引き起こし倒れてしまいます。

強く心配した母親は何としても治療を受けさせたいと、アトリエから出てきたロートレックを半ば強引に拉致するような形で入院させます。
監禁ともいえる入院生活に耐えられなかったロートレックは、自身が正常であることの証明として、記憶だけを頼りに『サーカス』シリーズの絵を描き上げました。
友人たちの尽力もあり一時は退院を認められましたが、翌年には再びアルコール依存の状態となり、2度目の発作を起こしたときにはもう死を悟ることとなります。

最期は母親のそばで死にたいと願ったロートレックは、母親の住まうマルロメ城で家族に看取られながら息を引き取りました。1901年、36歳のことでした。

1952年『赤い風車』(原題:Moulin Rouge)として、ロートレックの生涯を描いた伝記映画が公開された。

版画(リトグラフ)のご紹介

強いコンプレックスに苛まれながらも、それを芸術へと昇華させたロートレックの生涯は短くも濃く、今に続く商業ポスターやイラストレーションの世界を世間一般へと切り開きました。

フランスのキャバレーを観に行かれる際は、ロートレックの生涯に想いを馳せてみてはいかがでしょうか……。

今回ご紹介したトゥールーズ=ロートレックの作品の一部はご購入も可能です。
ぜひご覧ください。

  • 「すみれを売る娘」
  • 作者/トゥールーズ=ロートレック
    技法/リトグラフ
    サイズ/縦32cm,横21cm
    エディションナンバー/有り 189/450
    額縁/有り
  • 36,000円(内税)

  • 「カフェ」
  • 作者/トゥールーズ=ロートレック
    技法/リトグラフ
    サイズ/縦20.5cm,横17cm
    エディションナンバー/無し
    額縁/有り
  • 36,000円(内税)

  • 「某氏の肖像」
  • 作者/トゥールーズ=ロートレック
    技法/銅版画(ドライポイント)
    サイズ/縦19.5cm,横12.5cm
    エディションナンバー/無し
    額縁/有り
  • 36,000円(内税)

  • 「シナイ山の麓」
  • 作者/トゥールーズ・ロートレック
    技法/リトグラフ
    サイズ/縦20cm,横16cm
    エディションナンバー/無し
    額縁/有り
  • 36,000円(内税)

*本記事に使用している画像の一部はWikipediaより引用しています。

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