東欧を巡った色濃い思い出


こんにちは。ギャラリストの卵、Minaです。

ワーキングホリデーの途中に旅した東欧。当時25歳だった私にとって、見るもの全てが新鮮な景色でした。

旅先は出会いの宝庫、はじめての断食に挑戦。

ブルガリアの首都ソフィアからひとり夜行バスに乗り、トルコ・イスタンブールを訪れたときのことです。友人におすすめされたホステルに向かうと、たまたま同室になったトルコ人の女の子と仲良くなりました。彼女はイスラム教徒でちょうどラマダン(断食)中。こんな機会もないと「彼女と一緒にいる間は私も一緒に断食をしよう!」と決意し、翌日から博物館やモスク(イスラム教寺院)を彼女と一緒に見学することにしました。建築はもちろん、アラビア文字で彩られたモスク内はとってもエキゾチック!その中でも世界遺産のアヤソフィアは忘れられないほど美しい場所でした。道中、トルコ人の友達は「ちょっと待っててね」と言いながら、1日に数回お祈りのためにモスクに立ち寄ります。生まれてはじめての断食、季節は夏。日中の気温は高く、水も飲まないで歩き回ることに慣れない私は心身ともにヘトヘト…。彼女がモスクに姿を消した瞬間、私は猛ダッシュである場所へ走り出したのです。

トルコ人の友達とアヤソフィアの前にて
イスタンブールの街並を望む橋

トルコに行くなら「MADO」に立ち寄って!

私が走り出した先は、とあるアイスクリーム屋さん。トルコの大手アイスチェーン「MADO」でピスタチオとバニラのアイスを注文し、夢中でむさぼったのを覚えています。飲まず食わずの日中にあの滑らかでやさしい甘さは特別美味しかったなぁ。トルコの定番スイーツ「トルコアイス」は路上でパフォーマンスをしながら売っているイメージが強いですよね、あれは観光者向けのパフォーマンスメインだから味はそこそこで値段はお高め。純粋にトルコアイスの味を楽しみたいならアイスチェーン「MADO」が間違いないですよ!

アテネで出逢った忘れられない恩人

イスタンブールの次は、ギリシャ・アテネへ。当時ギリシャは経済危機に煽られていて、防犯のため通貨に換金するためにクレジットカードが使えない状況でした。いつもカード頼みだった私は予想外にも「現金がない!」という状態になってしまい…なにせ当時のギリシャは現金払いのお店も多かったため、観光そっちのけで現金探しに明け暮れる毎日。唯一換金できる場所は高級ホテルでしたが、宿泊するには当時の私にとってハードルが高すぎて「もう無理だ」と諦めかけていました。がくりと肩を落としていると「どうされましたか?」と後ろから聞こえた日本語の声。振り向くと観光者と思われる見ず知らずの日本人姉妹がいました。困っている事情を話すと「そういうことなら、お金を貸しますよ」と初対面の私に!500ユーロ(日本円で約6万円)を貸してくれたのです。「絶対に返します!」と約束をして連絡先を交換しました。こんな異国の地で何の返す保障もない私に、快くお金を貸してくれたこと…今でもとても感謝しています。もちろん、そのお金は後日きちんとお返ししました。

(アテネではまったく観光する余裕がなく、街の写真を撮ることも忘れる始末…とほほ。)

サントリーニ島に向かうフェリー
フェリー船内の様子

一度は行ってみたかった夢の島、サントリーニ。

彼女たちのおかげで、私はフェリーに乗って最終目的地であるギリシャ南東部のエーゲ海に浮かぶサントリーニ島に向かうことができました。高校時代に写真集を見て以来、いつの日かここに来ることが夢でした。約6時間、船に揺られて到着する頃には夜になっていました。サントリーニ島は断崖絶壁の上に町があり、フェリーが島へ近づくにつれて…闇に瞬く街灯り全体が巨大な舟のように見えました。あの時の臨場感とドキドキ、夢の島に来たんだ!という感動は忘れられません。憧れの地は、歩いているだけでふわふわと夢と現実の狭間にいるようで、とても不思議な感覚でしたね。イオの街で見たエーゲ海の夕焼けは、壮大なドラマの幕開けのような気持ちでじっと見つめていました。

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